gaeul-chang’s diary

たまに刺激を求める、アラサー既婚子なしOLの日記だったり

離婚の話

4連休いかがお過ごしでしょうか。

私は天気が良いのを利用してシーツを干し家中掃除をし、久しぶりに学生時代の友人に会い...となにかと充実しています。

学生時代の友人は全国に散り散りになっているため、会話はもっぱら各々の近況報告からスタートなのですが、1人の友人から離婚の報告がありました。かねてからちょこちょこと相談は受けていたのですが、離婚を決意した彼女の顔は晴れやかでキラキラとしていて美しかった。あぁ、決断できて本当によかったな、という思いでそれを見ていました。


離婚は一般的にはネガティブな話でしょう。一度は一生添い遂げたいと思った相手のことを嫌いになったり憎んだり、まあそうでないパターンもあるでしょうが、しなくて済むならそれが1番良い。そんなことは誰しも分かっている。だけど、「結婚はゴールではなくあくまでもスタートなのだ」とよく言われるのは本当にその通りで、スタートしてみないと分からないことってたくさんあります。そして、スタートしてみてから感じる違和感を無理に抑圧する必要などないのです。


ここ最近は離婚が珍しくなくなりました。〇〇ちゃんが離婚したらしい、あの子もそうらしい...アラサーの私ですがよく耳にします。そんな話を聞くたびに思う、ちゃんと決断できてよかったね、と。近年経済的に自立した女性が増えてきたことで、心を決めやすくなったというのは大きいでしょうね。経済的なことが理由で、離れたい相手と離れることができない、なんて辛すぎる話です。自分の母親がそうだったからです。


父親はDV気質というか、「キレる」と手を付けられなくなるタイプの人でした。相手が母親だろうと私だろうと、顔だろうと体だろうと、掴みかかり、殴る。あの正気を失った目は忘れたくても忘れられるものではありません。物心ついた頃から、家の中では父親の機嫌を損なわないようにと慎重に生きてきました。父親と2人でゆっくりと会話をしたり、そんな記憶はあまりない。とにかく恐かった。だけどそれが家庭における父親の“当たり前”だと思っていました。それが明らかな間違いだったというのに気が付いたのは、夫や夫の家族に出会ってからかもしれません。気付くの遅くない?と思われるかもしれませんが、自分にとって父親はこの世でたった一人ですので、そもそもそれが正しいか間違いか、なんてことを考える機会がないのです。そうしてDVは世代を越えて続いてしまう。悲しいことです。


少し話が逸れたので戻します。私が父に殴られそうな時は必ず母が私を庇う。そんなこんなで、あるときは大きなアザを付けられたり、あるときは腹を殴られてぐったりしたまま動かなくなった母親を目の前で見てきました。その度に何度も言った。「もうパパから離れよう」「じいちゃんばあちゃんのところに行こう」「家を出て2人で暮らそう」と。

でも母はそれをしませんでした。言われた言葉はこんなニュアンスのもの。今、ここを出たらあなたが将来辛くなるから、もう少し我慢しよう。じいちゃんばあちゃんにも何も言っちゃだめだよ。ごめんね。


当時はその意味が本当に理解できなかった。怖いのに、痛いのに、なんで我慢しなきゃいけなけいの?次の日も当たり前のように起きて何事もなかったように家族分の朝食を作り、会社に向かう母。なにもできないまま目を腫らして、出された朝食を口に押し込む自分。誰に何を話したらいいのかも分からない。いろんな感情を押し殺して、早く大人になってここを出たいと思うのが精一杯でした。


成績はそこそこだったので、地元の進学校に進み、家から離れた大学を志望し無事合格。1人で生きていけるだけのお給賃を頂ける企業に勤めて、やっと母の言葉の意味を知った。もし離婚したら、不自由なく暮らして大学に行かせてやるだけのお金を捻出することができない、自分さえ我慢すれば娘に、新しい学問、職業を選ぶ自由、そしてそこで出会う人...大きな未来を見せてやることができると、そう思っていたのでしょう。


そういう意味では、母の願いは果たされたと言えます。だけど、きっと母はそんな風には思っていないだろうけど、あの日々をふと思い返すと、母の人生の犠牲の上に自分の今があるように思うのです。それに、自分だけ逃げるように家を出てしまった。拭い去れない罪悪感が湧き上がってくることもあります。


もう守るべき小さな私はいないのだから、熟年離婚でもなんでもしてこっち来ればいいじゃない、と思うのですが、なんだかそうゆう訳でもないらしく、二人は今も夫婦として生きています。側から理解できない絆があるのでしょうか。もしまたなにか良くない気配を察知すれば、なり振り構わず、今度は私が母を守るつもりです。